被災福祉施設復興事例紹介
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〜 宮城県 南三陸町 〜

社会福祉法人旭浦会

「特別養護老人ホーム慈恵園」の復興事例紹介

取材日 平成26年8月28日
東日本大震災により、死者620人・行方不明者216人、半壊以上の住家3,321棟といった被害を受けた宮城県本吉郡南三陸町(出典:宮城県庁ホームページ【平成26年7月31日現在】)。その南三陸町に拠点を構え、被災した「特別養護老人ホーム慈恵園」の復興状況を取材した。

被災地域(旧施設所在地)、再建地域(新施設所在地)と南三陸町浸水区域マップ



※浸水区域データの出典:国土交通省都市局『復興支援調査アーカイブ』データ


地域からも期待されるスタートを切った「特別養護老人ホーム慈恵園」

 社会福祉法人旭浦会(きょくほかい)が運営する特別養護老人ホーム慈恵園は、被災した場所から約4.4kmほど内陸に拠点を移し、全ユニット型施設として、平成26年8月から運営を再開しました。開設当初から定員50名に対し、約2倍の入所希望者があるなど、地域からのニーズの高さも伺えます。

▲ 「特別養護老人ホーム慈恵園」外観 ▲ 「特別養護老人ホーム慈恵園」入口


津波による甚大な被害を受けた「特別養護老人ホーム慈恵園」

 社会福祉法人旭浦会は平成5年、宮城県南三陸町の志津川地区に設立されました。その後、特別養護老人ホーム慈恵園、同ショートステイを平成6年に開所し、以降、17年間に渡って同地区で事業を営んできました。施設は海抜15mほどの高台にあって、避難所としても指定されていたため、地域住民には“避難する場所”としても認知されていました。ところが、東日本大震災による津波は、施設が建っていた高台を乗り越え、浸水は平屋建ての天井付近の高さにまで達し、施設・建物は全壊。入所者とショートステイ利用者計67名(定員70名)のうち、利用者48名、職員1名が犠牲になるなどの甚大な被害を受けました。

▲ 旧「特別養護老人ホーム慈恵園」の所在地から海を望む


震災後は、福祉仮設施設を運営し、再建を目指す

 幸いにして難を逃れた利用者は病院や地域の別の施設に移り、また、職員は法人に残る方と別の法人に移る方などとに分かれました。
 法人としては、慈恵園が再開されるまでの間、行政から新たにグループホーム型の福祉仮設施設事業(定員18名、1ユニット9名、2ユニット)を受託し、残った職員で再建を目指すこととなりました。「この福祉仮設施設の委託事業によって、残った職員をつなぎとめることができ、それが今日の再建に繋がっている」(施設長石田さん)とのことです。



津波の心配のない地域で、新たな職員を確保し、事業を再開。

 施設の再開にあたって、新しい慈恵園の建築場所は、津波の心配がいらない、入谷地区が選ばれました。建設資金については、国からの補助金等のほかに、福祉医療機構から災害復旧資金11億円の融資を利用することにしました。
 建設工事は、大工職人の確保が難しく、2ヶ月ほど竣工が遅れたということです。それでも建設資材などは今までの地域との繋がりもあって調達でき、全体的には比較的順調に進んだのではないかとのことです。
 職員の確保については、南三陸町では、国の緊急雇用創出事業が行われているため、給与面での違いなどから人材がそちらに流れてしまうといった難しさがあったそうです。それでも、他法人に移っていた職員が再開にあわせて戻ってきてくれたり、知り合いに声をかけたり、比較的若い人に読まれていると思われるフリーペーパーに求人広告を出したりといった地道な活動が実を結び、最終的には、20名以上の新たな職員を確保して事業を再開することができました。

今後の事業展開について

 今後の事業展開としては、敷地内の空きスペースの活用した増床を検討しています。慈恵園の再開にあたっては、“災害復旧”という性質上、現状復帰が原則のため被災前の定員数と同じ定員50名で運営を開始しましたが、今後は定員を80名まで増やし、近隣の市からの入所希望者も受け入れて事業展開することを目指していきたいとのことです。地域の復興と合わせて今後の事業展開がどのように進むのか、注目したい施設です。

▲ 慈恵園の敷地内にある空きスペース


<< 法人概要 >>
法人名 社会福祉法人旭浦会 理事長 高橋 幸司 氏
法人施設 特別養護老人ホーム慈恵園(ユニット型)、ショートステイ
旧施設所在地 宮城県本吉郡南三陸町志津川字廻館97番地
新施設所在地 宮城県本吉郡南三陸町入谷字童子下159−2
福祉医療機構融資額 1,100,000千円
法人設立時期 平成5年7月22日 施設再建時期 平成26年8月4日
URL http://kyokuhokai.jimdo.com/


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