2011年、3月にたはら市民ネットを立ちあげ、義捐金78万円を送ったのをスタートにその後、毎月宮城、福島に支援を続けている。3・11には毎回渥美半島の新鮮な野菜、米を送ろうと田原、近隣の市民の協力で10トン車満載の野菜を送っている。
また野菜が多く採れ、規格外の野菜も多く出る時は、臨時に送っている。2011年の10月には、約10000個の玩具を集め、福島市内の46の保育園、幼稚園などに箱庭セットを送った。この玩具集めには、名古屋、他愛知県全体の住民を初め、アイシンAWなどの会社企業の社員が協力してくれ、震災間もない中の、悲しい、辛い気持を言葉に出せない幼児たちの心のケアに役立つ箱庭セット(砂遊び)は、放射能で砂遊びが出来ない幼児たちに喜ばれた。2012年には、もうすでに廃校になってしまったが、原発事故以来、ばらばらになってしまった南相馬市の福浦小学校の6年生17人が、ゆずりは学園に泊って、みんなで6年生の卒業式を行った。ずっと継続して毎月福島の仮設住宅に物資などを送っているが、品物を渡すたびに、支援物資を配って下さっている現地の人達に「どうか福島のことを忘れないで。どうか私たちのことを忘れないで」の言葉が聞かれるという。
輸送資金はなかなか難しいが、もう67回にもなる物資輸送支援をゆずりは学園の児童、生徒、地域住民の人達と続けている。 | |